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三重テラスで定期講座「日本橋アカデミー」 第1回テーマは幻の料亭「百川」

江戸中期から幕末にかけて実在した幻の料亭「百川樓」の逸話を熱く語る小泉さん

江戸中期から幕末にかけて実在した幻の料亭「百川樓」の逸話を熱く語る小泉さん

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 日本橋室町の三重県文化情報発信基地「三重テラス」(中央区日本橋室町1)で2月20日、幻の料亭「百川樓」をテーマに講演会が行われた。

新鮮な魚介類で「百川樓」の味を支えた生け簀

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 三重テラスと日本橋地区の企業・団体とのコラボレーション講座「日本橋アカデミー」の第1回となる同企画。創業者が伊勢出身の老舗「にんべん」と「岡三証券」の協力で、醸造学の権威で東京農業大学名誉教授の小泉武夫さんを招き、約90分の講演会が行われた。

 江戸中期から幕末にかけて三重テラスに隣接する浮世小路(うきよしょうじ)に実在したという「百川樓」は、古典落語「百川」の舞台となり、幕末にペリー饗応の膳を請け負ったことでも知られている料亭。店内に生け簀(いけす)を備え、日本橋の魚河岸で仕入れた新鮮な魚介類と卓袱(しっぽく)料理で人気を呼び、当時発行された江戸の料理番付では行司に位置するなど江戸庶民に親しまれていたという。

 太田南畝や山東京伝、平賀源内など名だたる文人墨客が店主百川茂左衛門のもとに集い、山海の珍味で風流三昧を楽しんだ料亭で、落語「百川」も彼ら文人が日頃のもてなしに感謝の意をこめて創作した宣伝だった。それほど隆盛を極めていたが明治維新後、忽然と消えた「百川樓」。日本橋室町地区は関東大震災と東京大空襲で焼失し、残された資料も少なく当時の姿は「謎」とされてきた。昨年10月に「幻の料亭・日本橋『百川』~黒船を饗した江戸料理」を上梓した小泉さんも、大好きな落語で「百川樓」の存在を知り、研究を重ねてきたという。

 講演では小泉さんが収集した古地図や浮世絵、当時使われていたという食器の写真などの資料をふんだんに使い、幻の料亭「百川樓」とその時代を解説。15時と18時から行われた2回の講演はほぼ満席で、会場には「百川樓」の話を聞こうと多くの歴史ファンが詰め掛けていた。

 参加者の一人で、室町で江戸末期から続く日本料理の老舗「日本橋とよだ」社長の橋本敬さんは「百川の生け簀の話は初めて聞いたが、以前店舗の地下を掘った時に、古い生け簀の跡が出てきたことがあったので納得がいった。冷蔵庫もない時代に、生け簀で新鮮な魚を提供していたのだろう」と話していた。

 小泉さんによる「百川」の講演は5月30日の日本橋倶楽部(日本橋室町2、TEL 03 3270 6661)一般公開講演会でも行われる(15時~、50名限定、参加無料、要予約)。

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