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日本橋で映画「波伝谷に生きる人びと」試写会 震災前、南三陸の暮らしを映す

8年の歳月をかけて震災前の南三陸、波伝谷地区を描いた我妻監督

8年の歳月をかけて震災前の南三陸、波伝谷地区を描いた我妻監督

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 日本橋と被災地をつなぐ交流カフェ「わたす日本橋」(中央区日本橋1)で7月24・25日、ドキュメンタリー映画「波伝谷(はでんや)に生きる人びと」の試写会が開かれた。主催はピーストゥリー・プロダクツ(宮城県白石市)、南三陸サポーターズ。

トークショーで我妻監督と対談する波伝谷出身の三浦智広さん

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 宮城県南三陸町の海沿いに位置する小さな漁村「波伝谷」の姿を記録した同作品。試写会は8月1日の劇場公開に先立ち企画されたもの。会場には被災前の波伝谷の写真を展示し、32分のショートバージョンの上映と我妻和樹監督のトークショーが行われた。

 東北学院大学で民俗学を学んでいた我妻さんは、フィールドワークの一環として偶然同地区を訪れ、豊かな自然と人々の細やかな人情に魅了されて通うようになったという。作品に登場するのは海と山の恵みと厳しさの中で地域に残る「結い」や「講」といった古い仕組みに悩みつつ残しながら、日々の暮らしを懸命に生きる「普通の人々」。我妻さんが通い始めた2008年3月から震災当日までを描く。

「波伝谷」は山が海に迫る漁村で津波が谷に伝わり南三陸町の中でも特に大きな被害を受けた地区。80戸あった集落は1戸を残しすべて流出してしまったという。我妻さん自身も、震災当日、現地で車を流され被災している。在りし日の村の風景は4年間撮り続けたフィルムの中に残るのみという。

 トークショーで我妻監督と対談した、波伝谷出身の三浦智広さんは「以前から監督の誘いを受けていたが、映画を見る気になれず、いろいろ理由を作ってお断りしていた。重い腰を上げて参加し、やっと直視できるようになった」と話す。「高校卒業後、地元が嫌で東京に出た。映画の中には震災で流され今となっては帰りたくても帰れない懐かしい『波伝谷』が残っていて『講』や『結い』の意味も映画を通じて初めて理解できた。この映画をより多くの人に見てもらい、世に伝えるのは自分の役割かもしれない」と話していた。

 作品は昨年の、ぴあフィルムフェスティバル「PFFアワード2014」で「日本映画ペンクラブ賞」を受賞しており、8月1日からシアター「ポレポレ東中野」(TEL 03-3371-0088)で一般公開。随時全国の映画館で上映する。

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