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神田祭で神田・日本橋に山車・みこし200基 都会のビル街に祭ばやし響く

ビルの谷間に、一本締めの音が響き渡る

ビルの谷間に、一本締めの音が響き渡る

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 神田・日本橋エリアで5月7日、「神田祭」が始まった。

日本橋の橋上で日枝神社、神田明神の氏子同士がご挨拶

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 山王祭、深川祭と並ぶ江戸三大祭りの一つとされる同祭、関ヶ原の戦勝を祝い徳川家縁起で始められた祭が大衆化したものと言われている。幕府の保護を受け、江戸城内に祭礼行列が練り込んで将軍に上覧したことから、「天下祭」と称され、当初は毎年行われていたが、天和元年(1681年)より2年に一度、山王祭と交代で開催されてきた。

 祭りのメーンとなる9日の神幸祭では、大国、えびす、平将門のみこしが平安装束をまとった人々とともに神社を出発し、神田、日本橋、秋葉原などを行進。途中、山車(だし)や武家行列など附(つ)け祭りの曳(ひ)きものも加わって盛大な行列となった。

 今年は神田明神が現在の地に遷座して400年ということもあり、多くの参加者でにぎわい、氏子108町会から繰り出したみこしや山車は総勢約200基。翌10日には多くの町みこしが各地区を巡行しながら神社に練り込み、威勢よく祭りを盛り上げた。

 日本橋の氏子域は日本橋川を境に南北に分かれ、南側は日枝神社の氏子で「山王祭」を、北側は神田明神の氏子に属し「神田祭」を斎行する。

 境界となる橋上の道路元票付近では、唯一日本橋の中央まで繰り出せる「室一」みこしを担いだ室町1丁目会の町衆がなだれ込み、ちょうちんを掲げて待ち構えていた日枝神社の氏子たちに押し戻される一幕も。毎年繰り広げられる、日本橋ならではの風物詩で、担ぎ手の一人は「勢いで、少し境界を越えちゃったかな」と汗を拭きながら苦笑いしていた。

 14日は、同神社境内の特設舞台で神明能「幽玄の花」(18時~)を行うほか、翌15日は祭りの締めくくりとして「例大祭」が繰り広げられ幕を閉じる。

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