日本橋本町で9月27日、中央区から正式承認された道路愛称「本町通り」の名を記した記念石碑の除幕式が行われた。
同日オープンした「コレド室町テラス」南側に当たる同通り周辺は、徳川家康が江戸に入府した1590(天正18)年当時、最初に町割りされたエリア。「江戸の中で初めに造られた『おおもとの町』という意味で「本町(ほんちょう)」と命名された。
同通りは江戸城内と下町をつなぐ常盤橋から、大伝馬町、馬喰町を経て奥州へ続く街道として発展。当時は江戸一番の目抜き通りとして繁栄していたという。
除幕式には、吉田不曇中央区副区長、日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会の橋本敬会長、日本橋一の部から七の部まで7つの連合町会会長などが出席した。吉田副区長は「古い資料を読んでいて、この地域は家康の江戸入府前、太田道灌が江戸城を作ったころからにぎわっていたと知った。『本町通り』は、いわば江戸の始まりの土地柄」と話す。
同通りが所属する日本橋一の部連合町会会長で、うなぎ料理店「大江戸」九代目当主の湧井恭行さんは「やっと江戸初期から続く由緒正しい『本町通り』の名が復活した。かつて本町通りは江戸一番の繁華街として栄えていた。現在は残念ながら昭和通りとその上を通る首都高に分断されていて、なかなか昔のようなにぎわいある町には戻れない」と話す。
かつて高速設置前の昭和通りは、公園のような広いグリーンベルトを備えた、街の憩いの場だったという。「現在、高速道路撤去の署名活動を進めているが、高速撤去で昭和通りを挟んだ街の東西の交流が可能になり、さらなる街の発展が期待できる」と涌井さん。「撤去後は歩道を広くして緑を増やし、人が憩える道にしていきたい」と期待を寄せる。