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日本橋とやま館の「ます寿司王子」故郷へ 2年の修業終え家業継承

「ます寿司」愛に満ちた、元祖関野屋7代目見習いの「ます寿司王子」、関野伸也さん

「ます寿司」愛に満ちた、元祖関野屋7代目見習いの「ます寿司王子」、関野伸也さん

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 日本橋とやま館(中央区日本橋室町1)の「ます寿司(ずし)王子」こと販売スタッフの関野伸也さんが7月、2年間の社会人修業を終え、実家の富山市へ帰郷する。

「ます寿司の歴史」講座や「食べ比べワークショップ」を継続して企画

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 6年前に大学進学で上京し、学生時代から東京交通会館の「いきいき富山館」(千代田区有楽町2)でアルバイトを続けてきたという関野さん。2年前の卒業と同時に「日本橋とやま館」開館に合わせて、そのまま同館に就職した。

 関野さんの実家は富山で140年続くますずし販売の老舗「庄右衛門 元祖関野屋」。7代目当主見習い中だがショップでの接客で得た消費者の意見をもとにミニポーションの「ミニ鱒乃寿しサクラ」を企画するなど、製品開発にも取り組んできた。銘柄にこだわらず来館者に熱心に富山のますずしを薦め、定期的に「ますずしの歴史」講座や「食べ比べワークショップ」などを企画していたところ、いつしか日本橋とやま館の「ます寿司王子」と呼ばれるようになった。

 関野さんによると、ますずしの歴史は平安初期までさかのぼる。富山県、鵜坂(うさか)神社の春の祭典で、神通川でとれた一番マスの塩漬けの供え物を、都から来た勅使に土産として献上したのがその原型。江戸中期に藩士吉村新八が「あゆ寿し」を生み出し、藩主前田利興が徳川吉宗に献上したところ評判となり、やがて神通川でサクラマスが大量にとれたことから本格的なますずし作りが始まったという。

 「現在の形になったのは江戸末期。酢の量産が始まり、酢を飯に加えた酢飯で手早く味わう早寿し(はやずし)が主流になってから」とも。幕末から明治にかけて神通川に舟を浮かべた「舟橋」のたもとにますずしを販売する茶屋が多数現れた。1912(明治45)年に駅弁として販売され富山の薬売りが行く先々で、そのおいしさを伝えたことから全国に広まったという。

 「5街道の起点、日本橋のたもとの『日本橋とやま館』で、2年間ショップ担当として勤務したおかげで、全国からのお客様の『生の声』を聞くことができ、良い勉強になった。ますずし業界だけでなく、富山のさまざまな生産者の方々と知り合うことができてネットワークも広がった」と関野さん。「富山に帰っても、まだまだ修業中の身だが、この経験とつながりを生かし、ますずしの魅力を世界に発信していきたい」と話す。

 関野さんは、帰郷する7月中旬まで「日本橋とやま館」で働いている。

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