学ぶ・知る

日本橋で三井家高利の母・殊法を知るフォーラム 没後350年に功績たどる

フォーラムの強盗に挨拶をする多気町町長の筒井尚之さん

フォーラムの強盗に挨拶をする多気町町長の筒井尚之さん

 三井家の家祖・三井高利の母、殊法(しゅほう)に焦点を当てた「殊法フォーラム」が9月15日、三重テラス2階コミュニティスペース(中央区日本橋室町2)で開催された。主催は三重県多気町。

三井家商いの礎築いた母に焦点

[広告]

 殊法の没後350年を機に、その功績を後世に伝えることを目的に開いた同フォーラム。殊法は1590年に生まれたとされ、13歳で三井家に嫁ぎ、4男4女を育てながら家業を切り盛りした。三井高利の三男・高治が記した「商売記」には、高利らが商人として名を知られるようになったのは殊法の影響によるもので、「三井家商いの元祖は殊法」とする趣旨の記述が残されているという。

 フォーラムは3部構成。多気町長の筒井尚之さんのあいさつに続き、第1部では東京大学大学院人文社会系研究科・文学部准教授の村和明さんが講演した。第2部では多気町出身で東京造形大学名誉教授、写真家の中里和人さんが故郷について語り、第3部では「勢和の語り部会」顧問の中西正勝さんらを交えたクロストークを行った。

 村さんは、三井文庫で主任研究員として三井家を研究してきた経験から、史料を基に殊法の人物像を紹介した。高利の長男・高平が記した「家伝記」には、殊法について「千人に勝れて激しき姑」とあり、一般に伝えられる人物像とは異なる一面がうかがえるという。

 一方で村さんは、こうした記録から殊法の性格を単純に捉えることの難しさも指摘した。殊法が生きた時代は戦乱が身近にあり、70~80歳代になるころにようやく社会が安定していったという。殊法について後世に記録した孫たちの時代とは社会状況が異なり、「人々の気風や価値観もゆるやかに変わっていった」と説明した。女性に関する史料そのものが少ないことにも触れ、当時の殊法の実像を推し量る難しさを示した。

 第2部では、中里さんが多気町で撮影した写真をスクリーンに映しながら、故郷の風景や地域について紹介。第3部のクロストークは、万協製薬社長の松浦信男さんが進行を担当。村さん、筒井さん、中西さんらが殊法と三井家、多気町について意見を交わした。筒井さんは町内に中央構造線が走ることや水銀鉱床があること、商業リゾート施設「VISON(ヴィソン)」などを紹介し、参加者に多気町への来訪を呼びかけた。会場の女性から移住を検討しているとの声が上がると、筒井さんは全面的にバックアップすると応じていた。

 会場では、殊法の功績を継承する「殊法プロジェクト」も紹介された。松浦さんと丹生区長の小林二郎さんが、プロジェクトで実施しているクラウドファンディングについて説明し、参加者に協力を呼びかけた。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
ALL