興福寺(奈良市)の国宝・五重塔の再建600年を記念した「五重塔サミット」が9月11日、よみうり大手町ホール(千代田区大手町1)で行われた。主催は法相宗大本山興福寺と読売新聞社。
興福寺五重塔は光明皇后の発願により730(天平2)年に建立されたと伝わる。落雷などで5回の焼失と再建を繰り返し、現在の塔は1426(応永33)年に再建された6代目。現在、約120年ぶりとなる大規模修理が進められている。興福寺と読売新聞社は2033年度の修理完了に向け、文化財や技術の継承への理解を深める関連事業を展開している。
サミットでは、読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆・国際担当の老川祥一さんがあいさつ。続いて、興福寺五重塔修理事業の専門委員を務め、木造建築の構造を研究する東京大学教授の藤田香織さんが「建築的視点からみる五重塔」と題して基調講演を行った。
藤田さんによると、江戸時代以前に建てられ、現在も残る五重塔は22基。火災や落雷、戦争などで多くが失われてきた一方、地震による倒壊の記録はないという。藤田さんは「五重塔は地震に強い」とする見方がある一方、「たまたま残ったのではないか」とする考えも紹介。構造の違いや実験による検証結果を図や動画を使って解説した。
続いて、興福寺貫首の森谷英俊さん、国宝・五重塔を持つ瑠璃光寺(山口市)住職の渡邉博志さん、出羽三山神社(山形県鶴岡市)宮司の阿部良一さんが登壇。それぞれの五重塔の歴史や特徴、修理について紹介した。3塔はいずれも室町時代に現在につながる塔が建立・再建されている。
森谷さんは興福寺五重塔について、730年の創建から現在までの歴史や、塔頂部の相輪(そうりん)が持つ仏教上の意味などを説明した。度重なる被災の後も再建してきた理由について、仏塔は仏陀の聖遺物である舎利をまつる建物だとした上で、人々の心に安寧をもたらす存在だと話した。
渡邉さんは、1442(嘉吉2)年ごろに完成した瑠璃光寺五重塔の来歴を紹介した。塔は瓦ぶきではなく檜皮(ひわだ)ぶきで、屋根の先端が上向きになっていることや、1層目と2層目の間に欄干が設けられていることなどを挙げ、「美の追求をしている塔と言われている」と特徴を説明した。
3塔のうち唯一、神社にある五重塔について説明した阿部さんは、明治期の神仏分離以前は寺だったため塔が残ったと紹介。出羽三山神社では五重塔を「お末社さん」と呼ぶという。東北地方で最古の塔とされ、屋根はこけらぶき。豪雪地帯に建つことから、雪による傷みへの対応も必要になると話した。
後半のパネルディスカッションでは、3塔の映像や修理の様子を紹介しながら、文化財を次代に残すための課題を議論した。興福寺では、建物をジャッキで持ち上げて修理する工法なども紹介。大規模修理に伴う費用の増加や、長期間にわたる文化財修理を担う人材の育成などについて意見を交わした。
興福寺五重塔の修理は屋根瓦のふき替えを中心に約10年を見込む。興福寺と読売新聞社は修理期間中、シンポジウムや展覧会などを通じて五重塔の歴史や文化財を守る技術を紹介していく。