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「日本橋経済新聞」が創刊2周年-ボランティア記者が「コツコツ」運営

「日本橋経済新聞」編集部が入る人形町松島神社ビル

「日本橋経済新聞」編集部が入る人形町松島神社ビル

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 東京・日本橋エリアのニュースを扱うインターネットサイト「日本橋経済新聞」が7月26日、創刊2周年を迎えた。運営は、販売促進企画会社「SPソリューションズ」(中央区日本橋人形町2)。

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 同媒体は2010年7月、「みんなの経済新聞ネットワーク」(本部=渋谷区)の一媒体として開設。日本橋と八重洲、八丁堀エリアに加え、東京駅構内を取材対象とする。平日はほぼ毎日更新し、これまでに550本のニュースを配信した。

 現デスク・田中優子さんが「『みん経』のファンだったこと」が創刊のきっかけ。「徒歩圏内の街ネタだけを毎日配信するニュースメディアは他にない。一体誰がどうやって運営しているのか興味があった」と田中さん。偶然、みん経の記者と知り合い、各媒体がそれぞれ異なる体制で運営していることを知った。「勤務先がある日本橋エリアをカバーする『みん経』がなかったので、だったら自分でやってみよう」と、人形町で会社を経営する現編集長・仁藤正平さんに相談。仁藤さんは「新しいかたちで地元に貢献したい」と協力を買って出た。

 同媒体の記者は、田中さんを含め、全員が本業を別に持つボランティアスタッフ。ニュースや編集とは関係のない一般企業に勤め、平日夜や休日を利用し、取材や記事の執筆に取り組んでいる。「日本橋経済新聞の記者は本業が充実している人ばかり。仕事は仕事でやりたいこと、やるべきことがあるけれど、それだけではない人生を送りたいと思っている人も多い」と田中さん。「何かを消費するだけが趣味ではない。記者活動は生産的な趣味であって、ドラッカーの言う『パラレルキャリア』のようなもの」とも。

 「みん経ネットワークの一媒体としての使命感もある」。個人ブログとは比較にならない多くの人が読み、話題によっては全国的なニュースになることもある。ボランティア運営だからといって言い訳は許されない。「震災の1週間後に掲載した記事がヤフーのトップページで紹介された。日本橋のオカメザクラが咲いたというだけのニュースだったが、日本中が不安や絶望に包まれていた中で、『癒やされた』『希望が湧いた』と大きな反響をもらった。改めて、自分たちがやっていることの影響力を感じた」と田中さん。

 同媒体を立ち上げたことで、日本橋の街との関わり方にも変化があった。これまでは「たまたま勤めていた街」だったが、「自分の街」になる感覚があるという。取材を通じて、街の歴史と未来に関心が芽生え、まちづくりに関わる人やローカルビジネスを応援する中で、地域に対する自分の役割を考えるようになった。「創刊から2年がたち、少しずつ地元で浸透してきた。『街の記録係』として、日本橋経済新聞を100年続くものにしていきたい。100年後の人が振り返ることができる、市井(しせい)の小さな変化をつづっていければ」と意気込む。

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